● 主任司祭
                                                                       
イスマエル・ゴンザレズ神父


 

 ――わたしの主、わたしの神よ―― 


 主のご復活おめでとうございます。


 わたしたちは、イエスの復活を1週間

ずっと祝います。一週間を一日のように

感じてしまうかもしれません。

 キリスト者にとって、イエスの復活は

とても大切な出来事ですから一日だけで

祝うことなどできません。主を称え歓喜

し、一週間かけて祝うことが必要です。

 死の上に、イエスの勝利を祝います。

妬みの上に、イエスの勝利を祝います。不正の上に、愛の勝利を歌います。

 マグダラのマリアが、イエスの墓を見に行った時、「あの方は、ここにはおられません。復活なさいまし

た。よみがえった人を死者の中から探さないでください。」と、天使が言われました。


 ペトロと六人の仲間が、ユダヤからガリラヤに帰りました。ある夜、漁に出掛けました。一晩中働きまし

たが、一匹も魚は釣れませんでした。夜明けに、浜からある人の声がありました。


“イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエス

は言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚が

あまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、

「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び

込んだ。”(ヨハネ21:5-7)


ペトロは、舟と魚のことを忘れてしまいました。主であることを聞き、すぐに出迎えねばと思ったのです。

ペトロにとって、イエスの側でいることが大切であり、他のことは忘れてしまったのです。又その時、弟子

たちはイエスがそんなに近くにいるとは思いませんでした。

 イエスは、彼らのために食事の準備をしました。ある弟子は、多分イエスは怒っていると思っていました。

なぜなら、彼らは最後の晩餐のあと皆逃げました。ペトロですら「わたしはあの人を知らない」と3回も主を

否んだのですから。しかし、イエスは何も言わず、皆を咎めることはありませんでした。


 イエスは、私たちのために主です。

 パウロは、言いました。


 “わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ

帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたし

たちもこの主によって存在しているのです。”(コリントの信徒への手紙一8:6)


 復活によってイエス・キリストは私たちのために主に崇めたてられています。

 命と死の主で、現在と未来の主です。教会ではイエス以外は誰も主ではありません。

 わたしたちは、一人ひとり洗礼を受ける時に、イエスを唯一の主として告白し、信じます。

 わたしたちの命をイエスに捧げます。イエスと一緒に弟子として毎日歩んでいきたいのです。

 復活されたイエスは今、ご聖体に生き続けておられます。

 みことば(聖書)によって話して下さいます。祈りによってイエスと共に話しているのです。


 なぜなら、イエス・キリストは、

“わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。”からです。(マタイによる福音書28:20b)







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